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ゴロワ隊長です。 バイクとシトロエン・エグザンティアを中心とした、バイクと車のブログ  たまには映画やカメラや食べ物のことも書きます  感じたことを何でもコメント書き込んでくださいね!!


by gauloi_taichou
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シベールの日曜日

久しぶりにこの映画が観たくなった。

シベールの日曜日_e0122501_20443856.jpg


原題:Cybele ou les dimanches de Ville d'Avray
邦題:シベールの日曜日(原題を訳すと、ヴィル・ダヴレイの日曜日のシベール)
1962年制作フランス映画  115分 白黒   
監督:セルジュ・ブールギニョン  
撮影:アンリ・ドカエ
出演:ハーディ・クリューガー   パトリシア・ゴッジ  
シベールの日曜日_e0122501_20462114.jpg

1962年度アカデミー外国語映画賞
1962年度ヴェネチア国際映画祭特別表彰


いまやビデオもDVDも出ていませんので、ネタバレ050.gifで書いてしまいます。





インドシナ戦争で、戦闘機パイロットのピエール(ハーディー・クリューガー)は、恐怖の表情を浮かべたベトナムの少女らしい子どもの姿を目にしたとたん撃墜される。そして彼は、その少女を殺してしまったと思い込み、心に深い傷を負う。その深い傷とは、『記憶喪失』。自分が誰であるかも思い出せない。

記憶を失った31才のピエールは、パリの病院に勤める看護婦のマドレーヌと同棲生活をしている。彼の数少ない理解者は、マドレーヌと友人の芸術家カルロス。ピエールは、時折やってくる原因不明の眩暈や頭痛と戦いながらも、そんな二人に支えられ何とか暮らしている。

ある夜、ピエールがマドレーヌを迎えにヴィル・ダヴレイ駅で待っていると、父親らしき男に連れてこられた少女と遭遇する。一瞬少女と目が合うが、少女は目に涙を浮かべている。気になってあとをつけていったピエールは、少女が修道院の寄宿舎に預けられ置き去りにされたのを目撃する。つまり少女は棄てられたのだ。
次の日曜日、好奇心から寄宿舎に出かけたピエールは、面会に来た彼女の父親と間違えられ、それから、日曜ごとのピエールと少女の逢瀬が続く。



少女(パトリシア・ゴッジ)は、12歳でフランソワーズと名乗った。でも実はこれが本名ではないという。彼女の本当の名前がギリシアの女神の名で、キリスト教的でないという理由から、修道院で名前を変えられてしまったのだと言う。教会の屋根の風見鶏を取ってくれたら本当の名を教えてあげるとピエールに告げる。ところが、ピエールは記憶を失ったときの後遺症で、高いところにあがるとめまいに襲われるのである。これを知ってか知らずか、少女らしい残酷さの描写が秀逸である。

ふたりはいつも池の周りを散歩する。
この舞台がヴィル・ダヴレイ(アヴレイ村)である。画家のコローが愛した村である。

池の景色が本当に美しい。白黒の墨絵のような映像美である。夜の駅、ガラスのコップの中から見た風景。森の木々の描写、池に石を投げ、広がる波紋の描写が美しい。全てが美しい絵画のような映画。アンリ・ドカエの素晴らしい映像美である。

音の演出も素晴らしい。凍った池に転がる石の音に耳をそばだるシーンがある。美しい響きだ。
シベールの日曜日_e0122501_20481315.jpg
宝剣を樹に突き刺し、大樹の息吹を聴くシーンも良い。
もちろん音楽もだ。全編を通して流れるアルビノーニのアダージオ、そして最後に流れる、ハイドンのレクイエム“ミゼレレ”。映像とともに私の涙を搾り取る。

散歩の途中で出合う乗馬した男を見て、フランソワーズが「カッコイイ」と叫んだり、同年代の男の子と遊ぼうとしたりして、純粋なピエールの心を弄ぶ(?)ような描写がある。焼餅を妬かせようとでもしているのだろうか?ピエールは怒りを露わにして、フランソワーズを戸惑わせる。
ふたりの逢瀬はほほえましく、やがて恋人同士のような会話に発展する。
ふたりの会話は、いつもフランソワーズがリードしている。

「あなたお母さん居ないの?じゃあ私がお母さんのかわりになってあげる。」
「ねえ、私が誰かとつき合ったら、あなたは嫉妬する?」
「私は12よ。ピエールは31?じゃぁ、私が18になったら、あなたはまだ37だから結婚しましょう・・・」

フランソワーズの科白は、少女でもあり大人の女性でもある。ピエールはどう答えていいかわからない。

これが恋心なのか悪戯心なのか、はたまたうつろい易い思春期の少女気持ちなのかは判らないが、まるで少年のようなピエールを翻弄する。しかしながら、いつも頭痛に悩まされていたピエールは、フランソワーズに逢うようになって、頭痛が霧散していることに気づく。


現代なら『ロリコン』の一言で片付けられてしまうかもしれないが、これはピエールとフランソワーズの純愛物語である。変態性少女愛嗜好者ではないっ。決して無いっ!





戦争で過去を失った男と、家族に捨てられた少女の、孤独な者同士の魂のふれあい。ふたりはともに自分自身の空白を埋めようと躍起になる。ピエールは過去を求め、少女は家族を、家を、そして名前を求める。孤独な者同士、日曜日ごとには父娘と偽って逢引を重ね、無邪気な時を共有し、お互いの孤独を労わりあっているうちに、いつしか、お互い同士相手を大切に思うといった関係へと発展する。少女は男に母性で接することで自分が惨めな捨て子であることを束の間忘れ、男は少女といると自分がかつて少女を誤って銃撃してしまったかも知れない少女殺しの犯罪者であると思い込んでいることを忘れる。


以前と様子が違うそんなピエールに、マドレーヌが気づかぬはずもない。
ある日彼女は、出勤するフリをしてピエールのあとを尾行する。やはり誰かと逢っているのだろうという直感は的中した。しかし、ピエールとと少女の逢瀬を覗き伺っているうちに、ピエールが自分を取り戻しつつあることに気づき、やがて彼らを許すことにした。このときの彼女の心理描写も秀逸である。



クリスマスの夜、カルロスの家からツリーを持ち出したピエールと、寄宿舎を抜け出したフランソワーズは、ささやかで暖かい晩を、ふたりはあずまやで一緒に過ごす。

悪戯っぽく微笑んだフランソワーズがクリスマスツリーに小箱をぶら下げる。

「ピエールへの贈り物よ。開けてみて」
その小箱の中の紙切れに、一言

Cybele

と書かれている。

「ギリシャ神話の木と大地の女神の名前なの」

初めてピエールに明かした名前シベール。これが、少女の心からのプレゼントだった。少女が自分の名前を打ち明けることによって、自身の空白を取り戻す象徴である。

一方ピエールは、「あとで僕もプレゼントをあげるよ。」と秘密めかした笑顔で答える。
そして、以前の約束を覚えていたピエールは、少女があずまやで眠っている間に、その宝剣を片手に教会の屋根によじ登り、風見鶏をもぎ取る。ところがめまいは起きない。めまいは克服出来たのだ。これは、失った過去を取り戻した象徴である。

そのころ、不安に駆られたマドレーヌが同僚の医者に相談したことで、修道院に連絡が入って大騒ぎになり、憲兵が少女の行方をさがして捜索を開始していた。

そして、宝剣と風見鶏を手に、少女シベールの所へ戻りかけたとき、憲兵に発見され、少女に害意を持って近づく変質者と思われて射殺されてしまう。
 
警官の報告のセリフ「危ないところでした・・・」
時すでに遅し、マドレーヌやカルロス達が駆けつけたときは全てが終わった後。

森の中を泣きながら駆けるシベールは憲兵に保護され、気を失う。
憲兵達に起こされ「君の名前は?」と聞かれて、目に入ってきたのは射殺されたピエール…

「もう、私には名前なんかないの。私はもう誰でもなくなったの!」

と泣きながら叫ぶラスト。
何もかも失った少女の顔のアップは、まるで老女のようで、本当に鳥肌が立つ。

たま~~にBSなんかでやるんですよ。
観るたびに号泣してしまう映画です。

毎年クリスマスには観たいなぁ
シベールの日曜日_e0122501_2054526.jpg

by gauloi_taichou | 2008-02-08 20:58 | 映画