4月17日18日の両日は、毎年恒例の『浅間記念館』の車両入れ替えに行ってきました。
昨年度は、浅間山噴火の為入山禁止であったので、正確に言うと二年振りの入れ替えとなる。
本来ならば、16日の夜から先乗りで駆けつける予定であったが、なんと時ならぬ大雪!!
他の先乗りのメンバーの一部は、軽井沢で足止めを喰らったとのこと。
てなわけで、急遽17日朝から
イクイク~!!!!
都内で同行のメンバーをピックアップして関越に向かうが、雪で通行止め(大汗)
仕方なく一般道で行く事にする。埼玉県内に入った頃には通行止めも解除になり、無事関越に乗ることが出来た。
心配していた道路は、ラッセル車が雪を取り除いてくれており、お昼前には記念館到着。
まずは雪掻き(笑)
これで大汗かきました。でもやり遂げた後のみんなのいい顔ったら。
結局午前中のメニューが全部潰れてしまった。
搬出車両をひと固めにしておき、到着する搬入車両を迎える準備をする。
今年のテーマは大好きなYDSシリーズ。
いつもは車両の紹介文はT波理事が原案を書くのだが、今年はすべて私が担当させてもらう事になった。そりゃ大喜びで引き受けましたとも(笑)。物凄く熱を入れて書きました。
やはり私は根っからのヤマハ党なんだなぁ。
美しい…
もう一つの目玉はコレ
浅間ミーティングクラブ設立者である故・中沖氏は、CB500を入手したものの、2ストばかり乗り継いでいた氏には物足りなくなり、紀一&博によるFRPタンク・シートに換装、”POP”ヨシムラによるエンジンチューンで、自分だけのマシンを創り出した。このマシンに目を留めた星野嘉苗氏との出会いにより、浅間ミーティングクラブを設立することになったという記念すべき一台である。中沖氏の手を離れてから、一時期は某”時○隋道”なるお店に売りに出ていたことがあったが、その後は数奇な運命を辿ったようで、しばらくは行方不明だった。浅間のCB遣いがある店でこの発見したのは数年前のこと。晴れてこの記念館に展示される事になったのである。
時間が押してはいたが、毎回この入れ替えに参加してくださる会員のみんなの仕事の早いこと。
また今年は、記念館内にある倉庫を整理して書庫を作り、河口湖の中沖邸に残された膨大な資料を運び込んで、『中沖資料室』を作ることになっている。てなわけで倉庫にある雑誌類の虫干し(笑)をして、銘柄ごと・発行順ごとに揃えた。
これがまた結構な作業で、大変な時間を要した。A柄支部の面々が大活躍してくれた。書庫は、愛知のM谷さん(本業:でぇくさん)の旗振りで、A柄のメンバーが中心となって二日目に製作された。
見る見るうちに立派な書庫が作られていった。なんという早さであろうか。
午後には4トン車に積載された中沖資料が到着し、見事に倉庫に収まった(上の画像はホンの一部です)。書庫の整理は、夏のキャンプのときにでも…
さて、搬入車両を紹介しましょう。
前述のホンダCB500中沖カスタム。FブレーキにはGT750のダブルパネルが奢られている。
後方排気になったヤマハTZ250レーサー。
名車AS1-Dの後継車AX125ベースのヤマハTA125レーサー。
MT125Rの後継車RS125-RW。水冷可されてヤマハTZ125の追撃をはかった。
ヤマハYD1。ドイツのアドラーを手本に作られたが、GKによる独特のデザインでFタンクの形状から『分福茶釜』と呼ばれた。
ホンダCⅢ72。渋川の小学校で実際に使われていた車両である。
ヤマハTD-1市販レーサー。YDS-2をベースにキットパーツを組み込んだ公道仕様である。
ヤマハYDS-2。名車YDS-1の性能と品質を更に向上させ、このS-2からヤマハは世界に羽ばたいた。
ベネリ900Sei。ホンダエンジンをコピーして6気筒化したマシン。ドライブチェンはダブルである。
ヤマハDS-6。YDSシリーズの最終型。コンパクトでスタイルの美しいマシンである。
大トリはヤマハYDS-1。GKの代表作ともいえる美しいスタイルと、『スポーツバイク』のカテゴリーを生んだ記念すべきマシン。このYDSはサビサビのボロボロの状態からここまでレストアされた。マフラーはなんと削り出しである。
浅間山をバックに、今回の入れ替えのメンバーで記念撮影(一日目に撮影)。
これが全員ではなく、車両の搬出入に来てくれたメンバーや、二日目のみ来てくれた方も居ます。
お疲れさまでした。
本当にありがとうございました。